金沢 江戸時代の大名庭園 兼六園
ひがし茶屋街から兼六園に着いたのは午後になってからでした。
園内はシーズンオフとあって人影が疎らでした。散策時間は昼食時間を含めて90分、早速、金沢のシンボル的な存在の兼六園を散策しました。
何代もの加賀藩主により、長い年月をかけて形づくられてきた兼六園ですが、作庭における基本的な思想は一貫していたようです。その思想とは神仙思想だそうです。大きな池を穿って大海に見立て、そのなかに不老不死の神仙人が住むと言われる島を配しています。藩主たちは、長寿と永劫の繁栄を庭園に投影したのだと思います。最初の作庭者、加賀五代藩主の前田綱紀は、瓢池に蓬莱、方丈、瀛州の三神仙島を築きました。又、十三代藩主の斉泰も、霞ヶ池に蓬莱島を浮かばせています。
それでは兼六園の一部を紹介します。
江戸時代の大名庭園 兼六園-01 虹橋と徽軫灯籠
加賀百万石前田家の庭園として造られた特別名勝の兼六園は、水戸の偕楽園、岡山の後楽園とともに、日本三名園の一つに挙げられいます。
ほぼ現在の姿に造園されたのは加賀藩第十三代藩主前田斉泰の時代で、兼六園の名は、宋代の詩人で李格非が書いた洛陽名園記に由来しており、宏大、幽邃、人力、蒼古、水泉、眺望の六つを兼ね備える名園として命名されたと伝えられています。
加賀の歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきました。金沢市の中心部に位置し、四季折々の美しさを楽しめる庭園として、多くの県民や世界各国の観光客に親しまれています。
江戸時代の大名庭園 兼六園-02 花見橋
擬宝珠の欄干がある木橋です。この橋から見る花の眺めが素晴らしいことから、この名前が付いたそうです。花が咲く季節になると、穏やかなに流れる曲線に沿って、桜や燕子花、皐、躑躅等が咲き誇り、多く人たちを魅了します。夏の緑陰、秋の紅葉、冬の雪の景色も見逃せません。
江戸時代の大名庭園 兼六園-03 龍 石
形が龍に似ている石で、兼六園三名石の一つです。他には虎石、獅子巌があるそうです。後ろには龍石椿と言われたいる椿があって、愛好家の間では有名です。
江戸時代の大名庭園 兼六園-04 根上松
兼六園の名物の一つです。大小四十数本もの根が地上から2mまでせり上がった光景は大変に迫力があり圧倒されます。
この松は第十三代藩主の前田斉泰が、松の根が地表近くに成長する性質を利用して土を盛り上げて若い松を植えて、根を深く土で覆って、成長した後に土を除いてあらわしたものだと伝えられているそうです。
江戸時代の大名庭園 兼六園-05 鶺鴒島
鶺鴒島は、兼六園の小立野口から入ると突き当たり花見橋の右側、曲水に囲まれた十五坪位の小さな島です。島の由来については今のところ記録も伝承も見つかっていません。
江戸時代の大名庭園 兼六園-06 唐崎松-1
兼六園のなかで最も枝ぶりの見事な樹木です。第十三代藩主の前田斉泰が近江八景の一つである琵琶湖畔の唐崎松から種子を取り寄せて育てた黒松だそうです。
江戸時代の大名庭園 兼六園-07 唐崎松-2
雪の重みによる枝折れを防ぐために施される雪吊りは、冬の訪れを告げる風物詩としても有名です。円錐型のシルエットが美しく、趣深い風情を紡ぎ出していました。
江戸時代の大名庭園 兼六園-08 霞ヶ池と内橋亭
兼六園の中程にある大きな池霞ヶ池のほとりに立っている内橋亭です。
池の上に立つ水亭と手前の部屋の間に橋が掛かっていることから内橋亭と呼ばれていました。もとは蓮池庭内にあった四亭の中の一つで、鯰之亭ともいわれており大変歴史のある建物だそうです。
池の上に立つ水亭と手前の部屋の間に橋が掛かっていることから内橋亭と呼ばれていました。もとは蓮池庭内にあった四亭の中の一つで、鯰之亭ともいわれており大変歴史のある建物だそうです。
江戸時代の大名庭園 兼六園-09 霞ヶ 池と蓬莱島
霞ヶ池は園の中心部にある、約58005800㎡の池です。眺める位置によって異なった様相を見ることができて、園内では一番大きい池です。池の中には蓬莱島という亀の形をした島が浮かんでいます。
鴨や鷺が羽を休め、鯉などの魚が泳ぐ姿は優雅で、見る人の心を和ませてくれます。
鴨や鷺が羽を休め、鯉などの魚が泳ぐ姿は優雅で、見る人の心を和ませてくれます。
江戸時代の大名庭園 兼六園-10 雁行橋
十一枚の赤戸室石を使用して、雁が夕空に列をなして飛んで行く様子をかたどった雁行橋です。石の一枚一枚が亀の甲の形をしていることから亀甲橋とも言われており、この橋を渡ると長生きをすると言われています。今は石の摩耗が激しいので、通行はできません。
江戸時代の大名庭園 兼六園-11 眺望台
卯辰山や白山山系、能登半島が見渡せる場所です。兼六園の六勝内の一つで、その眺望はまさにここで体験が出来ます。
江戸時代の大名庭園 兼六園-12 徽軫灯籠-1
兼六園のシンボル的存在の徽軫灯籠です。この灯籠は足が二股になっていて、琴の糸を支える琴柱に似ていることから名がついたそうです。
この灯籠は水面を照らすための雪見灯籠が変化したもので、高さは2.67mあります。
江戸時代の大名庭園 兼六園-13 徽軫灯籠-2
二股の脚は元々同じ長さでしたが何かの原因で折れてしまい、石の上に片脚を乗せてバランスを保っています。手前に架かる虹橋と傍らの紅葉の古木との三位一体となった光景は、とても絵になって、多くの観光客がここで記念撮影を行っています。
江戸時代の大名庭園 兼六園-14 噴 水
霞ヶ池を水源として、池の水面との高低差によって自然に水圧が上がっています。噴水の水の高さは霞ヶ池の水位によって変わるそでうすが、高さは概ね3.5mだそうです。藩政の末期に、金沢城内の二の丸に水を引く為に試作されたものと伝えられており、日本では最古の噴水と言われているそうです。
江戸時代の大名庭園 兼六園-15 瓢池と翠滝
瓢池は瓢箪の形をした池です。霞ヶ池とは違った静かな趣があって、高さ6.6mの翠滝から流れ落ちる水音が静かに響き渡っていました。
江戸時代の大名庭園 兼六園-16 海石塔
瓢池の中州には加藤清正が朝鮮出兵の際に持ち帰ったと言われている海石塔と枝垂桜があります。桜の時季には瓢池に桜が映り、とても幻想的な美しさを見せるそうです。
江戸時代の大名庭園 兼六園-17 時雨亭
兼六園内にある6つの茶店のうちの一つです。加賀藩の五代藩主である前田綱紀が兼六園を作庭した頃からあった御亭は、主に茶の湯で利用されていたものと言われています。庭側にある十畳と八畳、それに続く御囲は当時の平面図をもとに復元した部分です。
平成12(2003)年3月に現在の位置に再現されました。明治の初めに取り壊されるまでは今の噴水前にあったそうです。
江戸時代の大名庭園 兼六園-18 金沢城公園 石川門-1
石川門は金沢城の搦手門で、一の門の高麗門、二の門の櫓門、続櫓と二層二階建ての石川櫓で構成されている桝形門で金沢城三御門の一つです。天明8(1788)年に再建されたそうです。
江戸時代の大名庭園 兼六園-19 金沢城公園 石川門-2
兼六園に向かい合って建つ石川門はかつては搦手門と呼ばれる裏門でした。 二層の菱櫓と複数の門が組み合わされた枡形と呼ばれる複雑な構造になっており、敵が進入してきたときに勢いを鈍らせる目的で設けられたものでだそうです。白く見える屋根瓦には鉛を使用しており、ひとたび戦が起こった時には、溶かして鉄砲弾に作り変えるための工夫だったとも言われています。
江戸時代の大名庭園 兼六園-20 茶屋通り
兼六園の入口があり、約100m程の金沢城も望める場所に七軒の店舗が並ぶ茶店通りです。
兼六園の冬の風物詩の雪吊りや梅苑の紅梅白梅等、四季折々の自然と、代々の藩主たちによる絶え間ない築庭の妙が織りなす光景は、屈指の美しさと雄大さを生み出していした。
北陸の冬を巡ぐる旅、飛騨高山の古い町並み、雪の降る白川郷、日本海の波濤が打ち寄せる東尋坊、そして加賀百万石の城下町金沢。何処もその地の風情や文化が沢山詰まっている景色を目の当たりにして、思い出深い旅になり帰途につきました。
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